スペシャル

辰義編 『知られざる蕾』Girl's Style10月号掲載SS 作:恵莉ひなこ(エレファンテ)

(そろそろ空気が冷たくなってきたな……)

夜中から早朝にかけては、着込んでいないと鳥肌が立つ。
吐く息が白くなるのも時間の問題だろう。

(さっさと終わらせて部屋に戻ろう……)

野菜の泥を落としながらそんなことを思っていると……――

「あ……辰義くん」

ふいに背後から声が掛かり振り返る。
七緒だ。 夜更けに勝手場まで来るのは珍しい。

「あの……ここで、火鉢の炭をもらえるって聞いて来たんだけど……」
「……今手が離せないから、少し待ってて」
「うん」

丁度、大根の皮むきを始めたところだった。
包丁を手に作業を続けていると、七緒がひょいと覗いてくる。

「……こんな時間に料理?」
「明日の朝の下ごしらえ。前の晩にしておくと楽だから」

端的に答えると、「そうなんだ」と相槌だけが返ってきて暫く沈黙が続く。
七緒とは大体いつもこんな感じだ。

(……どうして、会う度に話しかけてくるんだか)

自分が無愛想なのは充分わかっているし、
話しかけられて面白い反応を返すこともない性格だ。
なのに七緒は、顔を合わせる度に話しかけてくる。

(変な女……)

沈黙が続く中、皮を剥く音だけが勝手場に心地よく響く。
しばらく作業に集中していると、不意に七緒がまた口を開いた。

「……何か手伝うよ」

その声に顔をあげると、ふんわりと微笑む七緒と目が合う。

「だって、一人より二人の方が早く終わるでしょう?」
「…………」

(……それはそうだけど)

こんな面倒くさい作業を見返りもなくわざわざ手伝いたがる理由がわからない。
下ごしらえは裏方の仕事であり、七緒は面方だ。

「……できるの?」
「……野菜を洗うとかなら……」

少し恥ずかしそうに答えた七緒を見つめ、どう答えるべきか迷う。
普段なら、誰かが手伝いを申し出てきても、一人で黙々とこなす方がずっと気楽なので断ることがほとんどだ。

(なのに、なんで迷ってるんだ)

なぜだか、すっぱりと断る言葉が出てこない。

「……じゃあこれ。ごぼうやにんじんは、きちんと泥を落として。葉ものは水につけておいて」

流されるままそう答えると、七緒はぱっと嬉しそうに微笑み頷いた。
その表情を確認して、再び俺は黙って包丁に視線を戻す。

申し出を受け入れた理由なんて特にない。
気が向いたから。

……それだけ。

水は大分冷たいし、どうせすぐに音を上げるだろう。
そんなことを考えながら、皮をむき終えた大根をいちょう切りにし、続いてにんじんの皮むきに取りかかる。

ちらりと隣を見ると、七緒は真剣な顔つきで野菜を洗っていた。
指先が見る間に赤くなっていく。

(なんでわざわざ裏方仕事なんて進んでするんだ。……本当、変な女)

またしばらく無言の時間が過ぎる。
聞こえてくるのは俺の包丁の音と、七緒が立てる水の音。

(……案外、悪くない)

そう思い始めた時だった。

――ぐう。

唐突に聞こえた音に顔を上げると、七緒が真っ赤な顔で腹を押さえていた。

「き……聞こえた?」
「聞こえた」

正直に答えると、七緒は泣き出しそうな顔になる。

「……ご、ごめんなさい」
「ふ」

意図せず笑みがこぼれてしまい、慌てて顔を背ける。
腹が減れば鳴るのは生理現象だ。
接客中ならともかく、今ここで鳴ってもそこまで恥じ入る必要はないのに、七緒は申し訳なさそうに俯いている。

「……ちょっと待って」

少し考えてから、包丁を置き近くのお櫃を開ける。
中に残っていた冷や飯に塩を軽く振り、小ぶりの握り飯をひとつ作った。

「ん。さっさと食べちゃって」

差し出すと、七緒は何やら戸惑った表情を浮かべた。
遠慮のような言葉をごちゃごちゃ言っていたけど、有無を言わさずに押しつける。

「ありがとう……じゃあ、いただきます」

丁寧にそう言って、七緒が握り飯を一口かじる。
……途端、口元がふわりとほころんだ。

(へえ。 随分美味そうに食うんだな)

七緒が食事を取る姿を、こうしてまじまじと見るのは初めてだ。
上品に口に運ぶけれど、決して気取っていない姿には好感が持てた。
美味そうに笑顔で食事を取る姿は、悪くない。

「万珠屋のご飯って、本当に美味しいよね。野菜とかも、前に住んでた所とは全然味が違う」
「そう? 米なんて、研いで釜で炊くだけだけど。気をつけるのは火加減くらい」
「そうなんだ……」

淡々とそう答えると、七緒は軽く頷いて握り飯を食べ終えた。

(米や野菜が好きなのか……なら、朝餉は素朴な味付けにしてみるのもいい。その方が素材の味も引き立つ)
(他にも、七緒の好きなものがわかればそれにしてもいい)

つらつらと朝餉についてそんなことを考えながら、お櫃を水に浸す。
相変わらず、無言の間が続いている。

「……だいぶ、慣れてきたんじゃないの」
「え……?」

後片付けをしながら、ふと気づけば自分から話を振っていた。
自分でも予想外の行動に少し戸惑う。

よくわからない気まずさを感じながら、ぽつぽつと会話をする。

「どうせ弱音吐いて、あっという間に出てくかと思ってたんだけど」
「で、出て行かないよ……」
「結構しぶといんだ?」
「し、しぶといって……」

褒め言葉のつもりで言ったのに、七緒が微妙な表情になる。
それがおかしくて笑ったら、今度は驚いたように目を見開かれた。

「……何」
「う、ううん!何でもないっ」

そう答えたあと、今度は何故か七緒の表情が嬉しそうにほころんだ。

「……何にやにやしてんの?」
「え!? ……し、してないよっ」
「……してただろ」

慣れない空気にいたたまれなくなり、俺は手の水気を拭うと勝手場の奥へ向かった。
火鉢用の炭をいくつか、籠に盛る。

「はい」
「え?」
「腹が膨れたなら、もういいだろ。これ持って部屋に戻りなよ」
「……でも、まだ全然手伝えてないのに」
「もう充分。いいから、早く寝ろ」

少し強めにそう言い切る。
すると、納得したようには見えなかったが、七緒は少し迷ってから籠を受け取った。

「わかった。じゃあ、戻るね。……おやすみ、辰義くん」
「ん」

会釈をして、七緒が勝手場から出て行く。
ほとんど反射のように一言だけ返した俺は、一拍置いて挨拶くらいきちんと返すべきかと思い直す。
けれど勝手場から廊下へ顔を出してみるも、七緒の姿は既に遠ざかっていた。

「…………」
(……俺は一体なにしてるんだ……)

我に返り自分の奇妙な行動に違和感を感じながら、再び下ごしらえに戻る。
静かになった勝手場は、相変わらず居心地が良く――けれど、どこか物足りないような気もした。

規則正しく響く包丁の音に身を委ねながら、ゆっくり七緒との会話を振り返る。
明日、朝起きてきたら七緒に好きな食べ物はなにか聞いてみてもいいかもしれない……。
七緒と話した後は、なぜか少しだけ気持ちが柔らかくなる気がする。

(……やっぱり、変な女)

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