りりん、と、季節はずれの風鈴が鳴った。
菊坂胡蝶は、風鈴の音を聞きながらゆったりと本を読んでいた。
風鈴をしまうのは好きではない。夏に出した風鈴を「ひっそりとしまう」のが嫌なのである。なんというか、風鈴が可哀相な気になる。
だから、もう冬場の、これ以上風鈴を出しておくと、さすがに「場違いで可哀相だ」と思えるまでは風鈴は胡蝶の部屋にある。今年の風鈴は梅を模ったもので、夏の想い出に直結もしていた。
もう一歩、近づきたかった、と思う。
鈴川小梅という人に。
胡蝶はいまひとつもふたつも引っ込み思案で、物おじせずに様々なことに立ち向かっていく彼女がまぶしかった。
手をつないで歩くだけでも、その「こころ」をわけてもらえるような気がしたのだが、どうしてもかなわない。
と。
同室の鏡子が、なにやら思いついたような顔で部屋に入ってきた。
顔に「やるぞ、やるぞ」と書いてある。どうやらなにかの理由でやる気が刺激されているらしい。
「わたしたち、少し影が薄いんじゃないかと思うのよ。胡蝶」
勢い込んで鏡子が言った。
「影が薄い?」
「そう。桜花会の中で」
それは仕方ないのではないか。胡蝶は素直にそう思ったが、鏡子はどうやら違うらしかった。
「それってなにか悪いの?」
胡蝶は思わず問い返す。「影が薄い」というのは、桜花会の中で、という意味になるわけだが、胡蝶からすれば、「それは当然」といったところだろう。
なんといっても二人とも下級生なのだし、個性派ぞろいの桜花会の中で目立つというのは、鯉の群れの中でメダカが自己主張するようなものである。
「悪くはないけど、ここはひとつ、わたしたちの存在をしっかりと示したいの」
鏡子はぐっと拳を握りしめた。
羨ましいな。
胡蝶はふっとそう思う。
胡蝶と鏡子は同室になっているから、起きてから眠るまでは大体一緒の時間を過ごしている。
胡蝶にとって鏡子は楽な相手だし、どちらかというと少々暗いところがある胡蝶にとってはいい友人でもあった。
そして、鏡子は少々突拍子もないことを考える癖がある。大抵は実行しないのだが、ふたりの間でだけは、様々な計画が練られていたのである。今回もなにか考えついたような風情をメラメラと出していた。
「どうやって?」
「わたしたちがお茶会を主宰するのよ」
「ええっ?」
思わず聞き返す。
「下級生が上級生をお招きするの?」
「きっと皆様なら来てくれるわよ」
「それはそうかもしれないけれど……」
たとえば、小梅が自分の所にやってきてくれたら、と思うと胡蝶としてもときめくものはある。
しかし、ひとりならともかく、全員を招くとなると、準備するお茶やお菓子をどうするのか、という問題もあるし、小遣いの範囲でおさまるかどうかもわからない。
胡蝶の表情を見てどう思ったのか、鏡子が屈託のない笑顔を見せた。
「じゃあ、胡蝶も賛成ね。よろしくね」
それだけ言うと、鏡子は元気に出かけていってしまった。
「鏡子はなにを考えているのかしら……」
とはいえ、ここはどうあっても先輩方に相談しないわけにもいかないだろう。
鏡子は最近妙に元気になっていて、いや、元気というか少々「すぎる」ような気が胡蝶にはする。もっとも、それが悪いという意味ではなくて、胡蝶にとってはむしろ羨ましい変化なのだが。
部屋を出ると、寮独特の木の香りのする廊下を歩いて食堂に向かった。
寮の食堂は本来寮生しかいないものだが、桜花会の面々だけは、なんとなく寮になじんで、よく食堂を使っていた。主な集まりは「旧寮」でやることが多いのだが、軽く話をするときは寮の食堂にやってくるのだ。
小梅がいるといいのだが、と、こっそりと思う。
巴と静の二人に相談するのはどうも恐れ多いし、部屋を訪ねていくのにも抵抗があったから、小梅が一番安心できるのである。
食堂の前には人だかりができて、ざわざわとした雰囲気ができている。
巴がいるときに起こる現象だ。
人ごみをかきわけるようにして食堂の中をのぞくと、巴と小梅が仲良く食堂で向かい合っていた。
「あ、胡蝶」
小梅が手を振ってくるのに頭を下げると、胡蝶は見物人の列から抜け出して二人の方に歩み寄る。
背中に少々不満げな視線を感じるが、「桜花会」に入っている胡蝶のことは、皆それなりに認めてくれていた。
「なんの用なのかしら? 胡蝶」
巴が、こぼれんばかりの笑顔を胡蝶に向けた。
こういう笑顔は決して機嫌のいいものではない。小梅と二人の時間を邪魔するっていうのはどういうことかしら? という言外の圧力があった。とはいってもそれ一瞬のことで、次の瞬間には胡蝶のことを気づかっている先輩の顔になっていた。
「どうしたの?」
小梅が、こちらは素直にどうしたの? という顔である。
「おふたりにご相談がありまして」
「相談?」
ふたりが同時に声をあげた。
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